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東京高等裁判所 昭和47年(う)1516号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

〈前略〉

第一弁護人の控訴趣意(事実の誤認の論旨)について。

一所論は、原判決が被告人の証書料収入の一部を除外した点について被告人にその認識があつたと認定したことは事実の誤認であるというのである。

1 そこで、所論に徴し、本件記録を調査してつぎのとおり判断する。

(一) 勅使河原ハマ(以下ハマという)の昭和四五年一月二〇日付、同年二月九日付大蔵事務官に対する各質問てん末書(以下質問てん末書という)、昭和四六年一月一三日付検察官に対する供述調書、武田陽信(以下武田という)の昭和四五年一月二〇日付、同年四月二二日付、谷林美枝子の同年三月一九日付、佐藤絹子の同年二月五日付、同年七月二四日付各質問てん末書、大蔵事務官作成の調査書(預金残高および受取利息の明細総括表)、被告人の原審公判廷における供述を総合すると、被告人を家元とする華道草月流においては昭和四一、二年ころから門下生がとみに増加し、同流の各支部を通して、家元に対してなされる門下生からの免状申請の数もふえ、そのころから、普通の月で一日平均一五〇枚ないし二〇〇枚、七月、一二月には一日三〇〇枚くらいの免状が作成交付されるようになり、被告人は右自流の門下生の増加の状況を十分認識していたこと、被告人の収入については右免状申請の際納入されるいわゆる証書料がその大半を占め、その額は、七月、一二月には一日平均三〇〇万円ないし五〇〇万円、普通の月でも一日平均一〇〇万円くらに達するものであつたころ、右金員は草月流本部における経理事務を担当していた事務員らを通じて被告人の妻ハマのもとに集められ、同女は右金員中から納税のための積立金や生活費等の支払に要する金員を控除した残額を無記名あるいは架空名義で銀行へ預金していたが、右預金をするに当つては被告人と相談しており、また、被告人の娘婿武田も電話などで定期預金をするように直接被告人に進言したりなどしていたこと、この時点で被告人はすでに新草月会館建設を門下生に言明しており、右武田の進言も新草月会館建設資金の融資を受けるために定期預金を利用する趣旨でなされたものであること、草月流の出版部における経理状況については担当係員である佐藤絹子において一ケ月に一度くらい現金と入出金状況を記載したメモを被告人に直接見せていたこと、被告人の預金額は昭和四二年中に約六二〇〇万円くらい、昭和四三年中に約一億四〇〇〇万円くらいそれぞれ増加しており、右預金額の増加状況については、ハマが五億になつた、六億になつたなどとその概略を被告人に報告していたことが認められる。

(二) また陳阿財の昭和四五年二月九日付質問てん末書、ハマの同年九月四日付質問てん末書、大蔵事務官作成の調査書(店主貸勘定総括表)によれば、被告人がその個人的な用途にあてたいわゆる店主貸勘定は本件各年分とも二億数千万円に達しているところ、右店主貸勘定項目中ハマが宝石類を購入する場合同女が品物を選定したり、代金の支払手続をしているものの、右購入に際しては被告人にその旨話していること、被告人は昭和四〇年ころから洋服類の仕立等の注文を隆新洋服店にするようになつたが、昭和四一年ころ代金の取立てに被告人宅に来た同店経営者陳阿財に対し、被告人との取引に関しては、被告人の氏名を帳簿にのせないでほしい旨申し向けるとともにその代金を直接同人に支払つたことが認められ、これらの事情に照らすと、書画、骨とう品はもとより、その他の高価な物品についても、その購入に関して被告人が関知しなかつたような事情にあつたとは認められず、さらに、前記各店主貸勘定のうちには、被告人が四谷税務署に所得税として納付した昭和四二年分九一〇五万九二〇〇円、昭和四三年分九四九八万二六〇〇円が含まれていることが認められ、これらの事実を総合すると、被告人が本件各年分の店主貸勘定に関して認識していたところがごくわずかではなかつたことが認められる。

(三) さらに、前記(一)冒頭掲記の各証拠によれば、被告人は日頃からハマとの間で税金が高いとの話を交わしていたこと、被告人方において本件に関し国税局の査察官が初めて被告人宅を訪れた昭和四五年一月二〇日をさかのぼる八、九年前に家を建てるための資金捻出の方法を考慮したことがあるが、その際ハマが、門下生や友人から収入のうち帳簿に載せない分を架空名義の預金にする方法を採つているところがあるということを聞き及び、被告人方においても同様の方法により貯蓄することを被告人と相談したことがあること、被告人は、外国在住の門下生からの免状申請が増加し、それに伴う証書料収入も増え始めた昭和三八、九年ころ、草月流本部事務員谷林美枝子に対し、「英文の方も少ない方がよい。」旨申し向けて、被告人の右証書料収入の正規の収入としての帳簿処理につき特別の指示をしたり、被告人製作にかかる作品が外国に売れるようになると、その売却代金についても外国における草月流支部担当係員にこれを保管させ、その会計資料を経理担当者へ廻わさないように谷林美枝子に指示していたこと、被告人は昭和四一年ころ被告人の自宅増改築の資金として銀行融資を得るため定期預金をするにあたり、武田に対し「自分の名前を出せるくらいなら、わざわざ借金する必要はない。」旨申し向けて無記名で定期預金をさせたこと、被告人は昭和四三年分の所得税の確定申告にあたつて被告人の同年分の所得額に関し、武田に対し、「小原流は一億三〇〇〇万円位で申告するらしいから一億五〇〇〇万位にして申告するように」と指示していることが認められる。

2 以上(一)ないし(三)の事実と、岡婦美(以下岡といいう)の昭和四五年一月三一日付、同年三月七日付各質問てん末書、被告人の同年一月二〇日付質問てん末書、検察官に対する昭和四六年一月一一日付供述調書を総合すると、被告人は、本件犯行の数年前から新草月会館建設の実現ならびに多数の門下生を抱え発展した華道草月流の組織の頂点に立つ家元としての地位にふさわしい生活および創作活動を維持したいと考え、それらに必要な金員を蓄積するため被告人の全収入をそのまま税務当局に申告したのでは、被告人の右意図どおり蓄財ができなくなるところから、草月流本部において経理事務を担当していた岡に対し、手段方法を同女に一任したうえ被告人の収入の一部を所得税の確定申告の際除外するように指示したこと、そのため同女において、被告人の収入の大半を占め、かつ、申告除外の容易な証書料収入の一部を除外して申告する方法を考え出し、この方法をとる旨被告人に話し被告人もこれを了承したこと、以来草月流本部に集計される免状申請書は岡においてこれを帳簿に記載する「表」の分とそうでない「裏」の分とを区分し「裏」にふりあてた申請証書に対応する証書料は被告人の正規の収入として処理することなくこれを除外し、確定申告に当つては、被告人の指示どおり前年度確定申告における所得税より少なくないように配慮し、他方右除外部分に相当する金員についてはハマにおいて正規の収入と合わせて、これを無記名あるいは架空名義で銀行預金をするなどして管理していたこと、したがつて、被告人は本件各年分の所得税の確定申告をするにあたつて、現に申告した所得金額を大巾に上まわる所得が存在していたことを知つていたことを認めることができる。

3 右認定の一、2の事実関係のもとにおいては、本件各年分の所得税確定申告に際し、被告人が草月流門下生から収受する証書料収入の一部を右申告から除外することを認識していたことは明らかである。

二所論は、前記被告人の昭和四五年一月二〇日付質問てん末書、検察官に対する昭和四六年一月一一日付供述調書、岡の昭和四五年一月三一日付、同年三月七日付各質問てん末書の信用性を争うから、この点について判断する。

1(一) まず、被告人の右質問てん末書の信用性について考えてみるのに、被告人の原審公判廷における供述、ならびに原審証人林圭一(以下林という)の証言によれば、東京国税局は本件に関し、昭和四五年一月二〇日午前九時ころから午後六時ころまで被告人方を捜索し、証拠物件を差押えるなどの強制調査をしたが、その間、被告人と接した査察官の態度は、被告人の脱税規模、方法に関して同人を糾明するといつたものではなかつたし、また東京国税局における査察官の質問に対する被告人の態度も、同人が時間をかけ、考えながら応答するといつた状況であつたことが認められるから、右被告人の質問てん末書は十分これを信用することができる。つぎに、被告人の右検察官に対する供述調書の信用性について検討してみるのに、被告人が新草月会館建設の希望を持ち、これを他に表明したのは前記一、1(一)認定のとおり武田の進言により無記名で銀行預金を開始したところであり、武田の昭和四五年一月二〇日付、ハマの昭和四六年一月一三日付検察官に対する供述調書によれば、右時期は被告人の依頼による新草月会館建設費用の見積が出された昭和四三年二月ころより以前の段階であつたことが認められから、この点を考慮すると、被告人が本件脱税の動機として検察官に対し新草月会館建設を挙げたことが虚偽の自白であるということはできない。さらに被告人の原審公判廷における供述によつて認められる検察官の取調状況がきびしいものでなかつた点を考慮すると、被告人の検察官に対する右供述調書もその信用性に欠けるところがないことは明らかである。

所論は、被告人の右質問てん末書はその供述記載中に税法の知識がなければ答え難い事項についてその知識のない被告人が答えている部分のあることや、その供述記載中の本件犯行の動機態様に関する部分が被告人の同年二月二日から同年九月四日まで四回に亘り録取された質問てん末書中で変化していることをとらえてその信用性を争うけれども、所論指摘の事項は必ずしも税法の知識があるものでなければ答えられない事項であるとは認められない。また、所論指摘の右各質問てん末書を相互に対比して検討し、かつ、陳阿財の昭和四五年二月九日付質問てん末書によつて窺われるところの被告人が本件につき強制調査が開始された数日後である同年一月二四、五日ころ、被告人方の運転手を通じて、電話で陳阿財に対し、昭和四三年分以前の被告人との取引数量を減じて申告するよう連絡している事実を併せ考えると、所論指摘の程度の供述の変化があるからといつて、そのことから直ちに右質問てん末書の信用性を疑わせる事情とすることはできず、他に被告人の右質問てん末書および検察官に対する右供述調書の信用性を疑わせるに足りる事情は認められない。

(二) 岡の前掲記の各質問てん末書の信用性について考えてみるのに、原審における林証人の証言によれば、岡に対する東京国税局査察官の本件に関する調査は、被告人に対すると同様昭和四五年一月二〇日から開始されたが査察官は岡が同日および同月三一日当時病院に入院していたため、同女に対し質問をするに当たつては同女の健康状態や同女が質問に耐えられるか否かについて担当医師に確認し、その了解を得たうえ、同女の健康状態に留意しつつこれを行つたこと、同年一月三一日付の質問てん末書はその前日になされた質問およびそれに対する答を査察官において整理し、それについて同女に正確か否かを確認し、さらに当日の質問に対する答をも含めて作成されたこと、同年三月七日付の質問てん末書は同女が病院を退院して間がなかつたため、査察官において同女の都合をきいたうえ数日にわたつて質問をしたのち三月七日に至つてその間の質問および答を確認したうえ作成されたこと、被告人から草月流内部の者に対し、同年一月三一日以前において本件に関する国税当局の調査に協力し、真実を述べるよう指示がなされていたことが認められ、右各事実を総合すると、同女の右各質問てん末書が十分に信用するに足るものであることは明らかである。

なるほど、右各質問てん末書を対比してみると、その相互の間には所論指摘のように、確定申告についての被告人の岡に対する指示に関する部分、証書料収入除外の方法による所得隠匿について被告人の同女に対する指示に関する部分の二点についての供述内容に若干の相異点があることは認められるけれども、このことからして直ちに右各質問てん末書の信用性に疑問があるといえないことはもちろん、右相異点についての査察官の糾問がないからといつて信用性がないともいえない。また、岡は証人として原審において右二点について査察官に対し訂正の申入をしたが拒否されたためやむなく署名押印した旨供述するが、前記林証人の証言によれば岡が訂正の申入れをしたのは右二点についてではなく、被告人の証書料収入中除外した部分の割合についてであることが認められるばかりか右三月七日付質問てん末書によると、同書には被告人が岡に対し確定申告における被告人の収入を前年の三割増しくらいにするように申し向けた旨の記載がないことが認められるから、これらの点に照らすと、右岡の供述はにわかに措信することができず、他に同女の前記各質問てん末書の信用性に疑をさしはさむに足りる事情は認められない。

2 以上の次第で被告人の昭和四五年一月二〇日付質問てん末書、検察官に対する昭和四六年一月一一日付供述調書、岡の昭和四五年一月三一日付、同年三月七日付各質問てん末書には十分に信用性が認められる。

三原判決には所論のような事実の誤認はなく、この点についての論旨は理由がない。

第二検察官の控訴趣意(量刑不当の論旨)について。

一所論は、被告人に対し罰金刑のみを科した原判決の量刑は著しく軽きに失し不当であるというのである。そこで、所論に徴し、本件記録を調査し、かつ当審における事実取調の結果を参酌し、これらによつて認められる諸般の情状を総合してつぎのとおり判断する。

1 本件は、華道草月流の家元である被告人が多数の門下生らから納入された証書料の一部を所得税確定申告における被告人の所得から除外し、右除外所得に対応する所得税をほ脱した事案であり、そのほ脱税額は本件二年分で合計三億四四六万五二〇〇円に達する極めて多額なものであり、さらに、本件は、華道草月流家元として、また国の内外に芸術家として名をなす被告人によつて行われたものであるだけに、単に国家の財政的基盤たる徴税権能を侵したというにとどまらず、華道界のみならず社会一般に多大の影響を与えたことは所論のとおりである。

また被告人が本件各年度において秘匿した所得のうち、いわゆる店主貸勘定の占める割合は非常に高く、しかも同勘定のうち、被告人が自らまたはその家族のために骨とう品、書画、宝石類、時計、衣類、雑貨等を買い求めるに要した金員は、昭和四二年分が八九五〇万三五四五円、昭和四三年分が一億四一三万三九七七円と高額であり、この点に徴すると、本件犯行の動機の一つとして被告人および家族の財産的欲望を満足させようとの意向のあつたことは否定し得ない。

さらに、当審において取調べた所得税法違反あるいは法人税法違反被告事件に関する最近の裁判例四三件によると、ほ脱額が多額の事例においては、ほとんど懲役刑が併科されていることも所論のとおりである。

2 しかしながら、まず、本件犯行の動機についてみるのに、たしかに、その動機に被告人やその家族の財産的欲望の満足という一面のあつたことは否定し得ないけれども、被告人が購入した高価な物品のうち書画、骨とう品の類や洋服などについては、被告人が草月流の家元であり、芸術家であることを考えると、それらの購入が財産的欲望から出たものとはいい切れない面もあるというべきである。

つぎに、本件犯行の手段、態様ならびに被告人の関与の程度について考えてみるのに、被告人の所得秘匿の主な方法である証書料収入の除外の方法を考え出し、その除外する金額の全体収入に対する割合の決定をし、また右方法により得られた金員を無記名あるいは架空名義で銀行預金をすることにしたのが被告人であると断定するに足りる証拠はなく、また、犯行の発覚防止のためになされたと認められるところの除外された免状申請に対応する免状用紙の仕入やその印刷に関し右各業者との間でこれを裏取引とするようにしたり、右のような方法で仕入れた免状用紙の保管や、右除外分に相当する免状を作成するために他人名義でアパート等を借りたことに被告人が関与していたと認めるに足りる証拠も存しない。結局被告人自らは、本件犯行にあたり、積極的に岡やハマらを細部にわたつて具体的に指揮していたとは認められず、自らの所得について正確にではなくその概略を了知していた程度であり、また岡やハマの右各行為に関してはそれを容認するという形で本件犯行を行つたに過ぎないと認めなければならない。

ところで、被告人は、東京国税局査察官による本件査察後、昭和三九年分ないし昭和四三年分の五年間についての所得税、重加算税、延滞税、特別区民税、事業税の納入につき、査察官の指示に従い自己の所得の修正申告をし、銀行より金三億九七〇〇万円の借入を受けるなどして合計一〇億円を超える右各税を完納しているが、このことは、ほ脱者の当然の義務であるとはいえそれなりに有利に評価し得るところというべきである。また被告人は本件発覚後は、生け花芸術協会理事長の地位を辞任し、皇居新宮殿の生け花の生け込みの依頼についてもこれを辞退し、海外からの展示会開催の求めに対しても本件査察前に決定していた個展を一度催した他は代理の者を派遣するなどして公式の活動を控えており、これらの点を考慮すると、被告人は、本件につき十分に反省していると認めることができる。

また被告人が高名な芸術家であることから被告人に対する量刑を特別扱いをすることの不当なことは所論をまつまでもないが、被告人のこれまでの華道を通じ我国文化の発展に貢献した業績とそれによつて築き上げられた現在の名声や社会的地位、したがつてまた有罪判決を受けることによる社会的制裁の度合が、量刑にあたり一つの事情として参酌されるべきこともまた当然である。

二以上一、2で認定した被告人にとつて有利な情状を斟酌し、本件ほ脱税額に対する罰金額のしめる割合が決して低いものとはいえない点をも併せ考えるときは、前記一、1に掲げた諸点を考慮してもなお、本件につき被告人を罰金一億円に処した原判決の量刑は軽きに失し不当であるということはできない。この点についての論旨も理由がない。

第三結論

以上によれば、弁護人、検察官の本件控訴は理由がないから、刑訴法三九六条を適用していずれもこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(石崎四郎 佐藤文哉 中野久利)

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